フィギュアスケートの放送はやっぱりJ SPORTS
J SPORTSで先日の世界フィギュアの放送が今週から始まりましたが、今年は完全中継のようで、流石!!って感じですね。まあ、以前も完全中継を(カップル競技は録画ですが)やっていたんですが、ここ数年は多少カットされていましたので、復活してくれたのは嬉しい限りです。現在はCSだけでなくBSでもJ SPORTS が観られるようになりましたので、視聴者も増えて、そういった要望が強くなったのでしょうか!?それとも民放の放送があまりにも酷いので、手本を見せてやる!って感じだったりして……(笑)。
やっぱりフィギュアの実況は小林さんですよね!彼女はフィギュアへの理解と愛情と敬意と公平さがありますので、非常に安心して観ることができます。日本人選手だからってムダに盛り上げたりしないところも、好感が持てます。
完全中継の良いところは、滑走グループが進んで行くにつれてレベルが上がってきて、段々と“別の競技”になっていくのが感じ取れるところですね。上位選手が何故上位選手たり得るのか?下位の選手はここから上に上がっていくには、何が必要なのか? また上っていくためにどういった努力をしているのか? ということが非常によく浮き彫りになって、フィギュアスケートへの理解が深まっていく気がします。
ってなわけで、放送を観ていて思ったことがあるんです。っていうか前から思っていたことなんですが……。音楽表現についてです。
特定の誰だと言うワケじゃないんですが、TESよりPCSの点数が出にくい選手が、じゃあ表現力を向上させるために!ってことで、スローな曲というかしっとりとした情感溢れる曲をプログラムに選んだりすることがあるでしょう!?これって全然間違いだと思うんですよ。っていうか間違いです!(笑)
結局、良い表現にするためには、その曲と一体にならなきゃ無理なんです。それにはどうしたらイイかって言うと、まずはその曲を愛していること、その曲を理解していることが当然必要になってきます。
これまでにこういった感じの曲で滑ったことはないけれど、実はこの曲が以前から大好きであって、どうしてもやってみたい!というのであれば、それはアリです。でも、これまでは自分の雰囲気に合っていると思う曲を選んでいたのに、思ったよりPCSが上がらない、ではそこを上げるために情感溢れる曲で滑ってみよう!って、これは違うだろっ!?
自分にとって得意であったはずの曲で滑ってもPCSが上がらないのであれば、それは選曲以前のところに問題があるんですよ。技術とか競技に取り組む姿勢とか。いや別に男子シングルのあの選手のことを言っているのではないですよ(笑)。
私はスケートの競技経験者じゃないですから、はっきりしたことは言えないんですが(言ってる気もするが)、自分が最も好きな曲(やりたい、やりやすい)で滑って、これ以上無理ってところまで表現を突き詰めないと、次のステップには進めないんじゃないか? って思うんです。実は楽器の演奏でも似たようなところがあって、技術的に簡単な曲を完璧に演奏できないのに、より難しい曲に進んじゃう人っていましてね。で、実は多少ごまかしながら、何となくできるようになってしまうんです。最終的には相当難しい曲をごまかしながら、とりあえず演奏できてるように見せることができたりして、技術的に相当上がったように一見思えます。でもね、そういうスタンスで続けていっても、やっぱり「簡単な曲を完璧には演奏できない」ことには変わりなかったりするのです。
たとえが適切ではないことに定評がある(笑)私の言ってることですから、かえって判りづらくなった可能性は否定できませんが、結局、表現力が評価されないと感じるのであれば、自分の一番愛せる曲でやるのがイイに決まってるじゃん!って言いたいのです。そうであれば、きっと振り付けの“意味”だって理解できるでしょ!?
長くなってしまったこともあり、ひょっとしたら意味不明なことを書いている可能性があるので、後ほど編集するかもしれません(笑)。
ところで、女子シングルの放送中に言っていましたが、ラウラ・レピスト(フィンランド)は引退しちゃったようです。キーラより全然好きだったのに!ちょっと哀しいです。
やっぱりフィギュアの実況は小林さんですよね!彼女はフィギュアへの理解と愛情と敬意と公平さがありますので、非常に安心して観ることができます。日本人選手だからってムダに盛り上げたりしないところも、好感が持てます。
完全中継の良いところは、滑走グループが進んで行くにつれてレベルが上がってきて、段々と“別の競技”になっていくのが感じ取れるところですね。上位選手が何故上位選手たり得るのか?下位の選手はここから上に上がっていくには、何が必要なのか? また上っていくためにどういった努力をしているのか? ということが非常によく浮き彫りになって、フィギュアスケートへの理解が深まっていく気がします。
ってなわけで、放送を観ていて思ったことがあるんです。っていうか前から思っていたことなんですが……。音楽表現についてです。
特定の誰だと言うワケじゃないんですが、TESよりPCSの点数が出にくい選手が、じゃあ表現力を向上させるために!ってことで、スローな曲というかしっとりとした情感溢れる曲をプログラムに選んだりすることがあるでしょう!?これって全然間違いだと思うんですよ。っていうか間違いです!(笑)
結局、良い表現にするためには、その曲と一体にならなきゃ無理なんです。それにはどうしたらイイかって言うと、まずはその曲を愛していること、その曲を理解していることが当然必要になってきます。
これまでにこういった感じの曲で滑ったことはないけれど、実はこの曲が以前から大好きであって、どうしてもやってみたい!というのであれば、それはアリです。でも、これまでは自分の雰囲気に合っていると思う曲を選んでいたのに、思ったよりPCSが上がらない、ではそこを上げるために情感溢れる曲で滑ってみよう!って、これは違うだろっ!?
自分にとって得意であったはずの曲で滑ってもPCSが上がらないのであれば、それは選曲以前のところに問題があるんですよ。技術とか競技に取り組む姿勢とか。いや別に男子シングルのあの選手のことを言っているのではないですよ(笑)。
私はスケートの競技経験者じゃないですから、はっきりしたことは言えないんですが(言ってる気もするが)、自分が最も好きな曲(やりたい、やりやすい)で滑って、これ以上無理ってところまで表現を突き詰めないと、次のステップには進めないんじゃないか? って思うんです。実は楽器の演奏でも似たようなところがあって、技術的に簡単な曲を完璧に演奏できないのに、より難しい曲に進んじゃう人っていましてね。で、実は多少ごまかしながら、何となくできるようになってしまうんです。最終的には相当難しい曲をごまかしながら、とりあえず演奏できてるように見せることができたりして、技術的に相当上がったように一見思えます。でもね、そういうスタンスで続けていっても、やっぱり「簡単な曲を完璧には演奏できない」ことには変わりなかったりするのです。
たとえが適切ではないことに定評がある(笑)私の言ってることですから、かえって判りづらくなった可能性は否定できませんが、結局、表現力が評価されないと感じるのであれば、自分の一番愛せる曲でやるのがイイに決まってるじゃん!って言いたいのです。そうであれば、きっと振り付けの“意味”だって理解できるでしょ!?
長くなってしまったこともあり、ひょっとしたら意味不明なことを書いている可能性があるので、後ほど編集するかもしれません(笑)。
ところで、女子シングルの放送中に言っていましたが、ラウラ・レピスト(フィンランド)は引退しちゃったようです。キーラより全然好きだったのに!ちょっと哀しいです。
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