突然ゲイリー・ムーア
みなさん、こんにちは!!無名ミュージシャンの鈴木浩憲です。
フィギュアスケートの羽生結弦選手の今シーズンSPがゲイリー・ムーアの『パリの散歩道』だから、いつかは書こうと思っていましたが、本日はゲイリー・ムーアについてです。イヤァ~、私、ミュージシャンとか言っておきながら、毎日書いている割に特定のアーティストについての記事って少ないですね。最近ではエンヤについての個人的感想を述べたに過ぎません(笑)。
その昔、間違いなくゲイリーは私のアイドルでした。現在発売中の私の楽曲『Play for you』のギター・ソロは、創っている時は全然意識していませんでしたが、友人に、
「お前ってやっぱりゲイリー・ムーアの影響受けてんのね!」
と言われました。確かにそうだな、これはゲイリー・ムーアかも!?
ってなワケで、ゲイリー・ムーアは非常に好きであって、来日公演も4回ほど観ています。っていうか、ホントに泣いてしまったこともあります。あれは'87年の公演だったと思いますが……。
ご存知の方も多いかもしれませんが、ゲイリー・ムーアはフュージョン・バンドにいたこともあるぐらいで、所謂“バカテク・ロック・ギタリスト”の1人でもありました。そういうわけで、80年代の日本では“超絶ギター・ヒーロー”として認識されていました。そんな彼を私は敬愛していたわけですが、彼の望みは極東の島国でギター・ヒーローになることでは無くて(笑)、アメリカでの商業的成功だったのです。
80年代半ば頃からは、アメリカでの成功を狙ってシングル向けの曲とそのPVも制作されています。しかし……、アメリカでは売れなかったんですよ。ゲイリー・ムーアによるポップ・ロックってのは。実は本日のテーマはどうしてゲイリーの歌モノがアメリカで売れなかったのか!?についてだったりするんですが。
もちろん彼の楽曲のテイストが、根本的にアメリカの市場向けではなかったというのはあります。彼の“ポップ”の解釈が多少ずれていたことはあるかもしれません。たとえば、『After the War』からのシングルカット、「Ready for love」とかは、ゲイリーにとって、
「アメリカでの売れ線ポップ・ロックのつもり」だったと思うんですが、私は初めてこの曲を聴いた時に、
「ダメだ!こりゃ!!」
と思いました。これじゃ売れないだろ!?ゲイリー!と本気で思いましたわ!でも実はもっと、売れなかったことの決定的理由があると私は思っています。それは、彼の声質のせいだと思っているんです。ゲイリーって実際、ライヴでもとても声が出るし、歌は上手いんですよ。でもねぇ~、あの声がね。暑苦しいといったら失礼ですが、決して耳に心地良い声ではなかったんですね。声質って大事なんですな。売れるためには。
皮肉なことに、このアメリカン・ポップ・ロック路線を諦めて、開き直ったのかどうかは知りませんが、ブルーズに回帰ってことで'90年に『Still Got The Blues』をリリースしたら、これがそれまでのアメリカ最大のヒット作になりました。でもね、実を言うと私自身はこのブルーズ作品以降のゲイリーからは段々興味が無くなりました。興味を無くしていった理由としては……、う~ん、ゲイリーってギター上手いから、ブルーズやればそれなりにイイに決まってんじゃん!?という私的なひねくれた解釈があったんですよ。私はロックでやり続けて欲しかったですね。
というワケで、ゲイリーがアメリカで売れなかったのは声質のせいだよぉ~ん!って話だったのですが、ロック・ギターを弾いているみなさんには一度はゲイリー・ムーアを聴いて欲しいと思っています。ヴィブラートはただロングトーンの時にかけるんじゃなくて、そのかけ方にもメリハリがあるんだよ!!ってことが理解できると思います。残念ながらゲイリーは昨年2月、休暇中に心臓発作で亡くなりました。彼のご冥福をお祈りします。


フィギュアスケートの羽生結弦選手の今シーズンSPがゲイリー・ムーアの『パリの散歩道』だから、いつかは書こうと思っていましたが、本日はゲイリー・ムーアについてです。イヤァ~、私、ミュージシャンとか言っておきながら、毎日書いている割に特定のアーティストについての記事って少ないですね。最近ではエンヤについての個人的感想を述べたに過ぎません(笑)。
その昔、間違いなくゲイリーは私のアイドルでした。現在発売中の私の楽曲『Play for you』のギター・ソロは、創っている時は全然意識していませんでしたが、友人に、
「お前ってやっぱりゲイリー・ムーアの影響受けてんのね!」
と言われました。確かにそうだな、これはゲイリー・ムーアかも!?
ってなワケで、ゲイリー・ムーアは非常に好きであって、来日公演も4回ほど観ています。っていうか、ホントに泣いてしまったこともあります。あれは'87年の公演だったと思いますが……。
ご存知の方も多いかもしれませんが、ゲイリー・ムーアはフュージョン・バンドにいたこともあるぐらいで、所謂“バカテク・ロック・ギタリスト”の1人でもありました。そういうわけで、80年代の日本では“超絶ギター・ヒーロー”として認識されていました。そんな彼を私は敬愛していたわけですが、彼の望みは極東の島国でギター・ヒーローになることでは無くて(笑)、アメリカでの商業的成功だったのです。
80年代半ば頃からは、アメリカでの成功を狙ってシングル向けの曲とそのPVも制作されています。しかし……、アメリカでは売れなかったんですよ。ゲイリー・ムーアによるポップ・ロックってのは。実は本日のテーマはどうしてゲイリーの歌モノがアメリカで売れなかったのか!?についてだったりするんですが。
もちろん彼の楽曲のテイストが、根本的にアメリカの市場向けではなかったというのはあります。彼の“ポップ”の解釈が多少ずれていたことはあるかもしれません。たとえば、『After the War』からのシングルカット、「Ready for love」とかは、ゲイリーにとって、
「アメリカでの売れ線ポップ・ロックのつもり」だったと思うんですが、私は初めてこの曲を聴いた時に、
「ダメだ!こりゃ!!」
と思いました。これじゃ売れないだろ!?ゲイリー!と本気で思いましたわ!でも実はもっと、売れなかったことの決定的理由があると私は思っています。それは、彼の声質のせいだと思っているんです。ゲイリーって実際、ライヴでもとても声が出るし、歌は上手いんですよ。でもねぇ~、あの声がね。暑苦しいといったら失礼ですが、決して耳に心地良い声ではなかったんですね。声質って大事なんですな。売れるためには。
皮肉なことに、このアメリカン・ポップ・ロック路線を諦めて、開き直ったのかどうかは知りませんが、ブルーズに回帰ってことで'90年に『Still Got The Blues』をリリースしたら、これがそれまでのアメリカ最大のヒット作になりました。でもね、実を言うと私自身はこのブルーズ作品以降のゲイリーからは段々興味が無くなりました。興味を無くしていった理由としては……、う~ん、ゲイリーってギター上手いから、ブルーズやればそれなりにイイに決まってんじゃん!?という私的なひねくれた解釈があったんですよ。私はロックでやり続けて欲しかったですね。
というワケで、ゲイリーがアメリカで売れなかったのは声質のせいだよぉ~ん!って話だったのですが、ロック・ギターを弾いているみなさんには一度はゲイリー・ムーアを聴いて欲しいと思っています。ヴィブラートはただロングトーンの時にかけるんじゃなくて、そのかけ方にもメリハリがあるんだよ!!ってことが理解できると思います。残念ながらゲイリーは昨年2月、休暇中に心臓発作で亡くなりました。彼のご冥福をお祈りします。


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